浪人生の考え方

 現役の時は駿大に入学しました、みこです。

 受験もひと段落しましたね(執筆時点3月初旬)。受験生の皆さんはお疲れ様でした。僕にとっても高校の後輩が合格の報告をしてきてくれた時は本当に嬉しい瞬間でした。受験をどうのこうの言うつもりはありませんが、何年も必死にやって結果を出せる機会が人生にあるというのは素敵なことだと思います。

 さて、合格された皆さんには祝福の言葉を捧げます。が、もし浪人を決めた人がここにいるなら少し先輩面をして自分が浪人して感じたことを語ろうと思います。

 

 初めに不合格と知った時、自分は案外落ち着いていました。模試の判定もDかEばかりでしたし、学年の中でももっと賢いやつはいましたし、自信があった訳ではなかったですね。落ちて当然だという感想でした。そうはいってもなかば放心状態で、合格発表の後しばらくは一日中ゲームしてました。次の目標に目を向けられず、流されるように予備校に行ったときのことをよく覚えています。

 その教室は広く人もいっぱいで、全員が浪人生だと思うと違和感がとても大きかったです。高校生と変わらないのが不思議でした。普通の人は落ち込んでいるものだと思っていたのですが周りは全然そんなことありませんでした。同じ高校の人同士でしゃべっていたり笑っていたり。落ちたことは間違いなくその人たちにとって大きな出来事であったでしょうがそれが周りにはわからないというのが印象的でした。受験勉強の延長と考えれば普通だったかもしれませんが結局この違和感は最後まで消えることはありませんでした。

 予備校の授業といってもセンター前までは総復習みたいなもので、1年間に高校全ての範囲を詰め込んだような授業でした。受験勉強でありながら理解の十分な範囲もやり直すこの余裕には戸惑いました。周りの人が次の授業いらないから休むと言っているのをよく耳にはさんだものです。初めは焦る気持ちがありました。しかし一年という長い時間、気を張り続けるのも難しい話です。真剣味が足りないと言われてもある意味それがないから現役で落ちたのであり、また長い時間努力できるのもある意味才能だと思います。

 戦争下でも兵士の戦闘意欲が保てるのは開始から半年までだそうです。ストレスの度合が同じかは分かりませんが、ならばそもそも私たちの考える理想の受験生の姿勢は無理があるものかもしれません。

 僕はだんだんと効率を意識することをやめました

一番大きな理由は疲れるからです。授業を受けずに自習したり後でプリントかノートだけ見してもらったり内職で勉強する人がいる一方、自分はクソがつくほど真面目に授業を聞いてました。確かに受けなくてよかったと思う授業は多かったです。ですが、もとから一度は勉強した範囲の授業。新たに得るものが少ないのは当たり前でした。損得勘定よりもそういう機会を待つ意識が大事です。人生も似たようなものです。限りない不満の中で一握りの幸せを噛みしめるのが平和です。

 こんな授業を受けるくらいなら英単語でもすればよかった、みたいに失ったものを後悔するのも無意味でした。効率を求めることに際限はありません。見方を変えれば常に何かを失っているのですから。満たされないものを満たそうとするのは非常に苦労です。他人の勉強法を見てあれこれ悩むくらいなら自分のやり方を押し通した方がましです。

 1年間は浪人生にとって十分に長い時間だと思います。効率を考えずとも出されたものを淡々とこなすだけで1年あれば力は付きます。勉強に迷いは必要ありません。ゆっくりでも走り続ける努力が全てです。

 そうしたからという訳でもないですが行きたかった大学に合格しました。合格の喜びも想像したほどではなかったです。ゲームもしましたがすぐ飽きました。

 

 大抵の浪人経験者は浪人時代を不要なものだったとは言いません。自分もそう思います。かといって大事なものを得たとも言いません。ただ無欲に現実を生きる余裕とその中で満足する心持ち。

 みんながこうなるとは言ってませんよ?